わかりあえないことから 平田オリザ著
本屋で目に留まったので、「わかりあえないことから」(平田オリザ著)を買って読みました。
本のテーマは、”コミュニケーション能力”です。
社会においてコミュニケーション能力が必要だということは、よく言われますよね。
しかしながら、コミュニケーション能力と一言でいっても、その中身はぼんやりしていて、
「きちんと意見が言えること」
「空気を読むこと」
のように、社会の求めるコミュニケーション能力は、ダブルバインドの状態にあると筆者は指摘します。
コミュニケーション能力とは、本来、「異文化理解能力」であるそうです。
そうであるなら、何事も「最近の若者は〜」と非難を始めるオヤジたちのコミュニケーション能力は低いということですね。
筆者が言うように、今日の社会は以前と比べてコミュニケーションが多様化しています。
一昔前のように、社会の中央が存在したマスの時代では、同じような価値観や生活スタイルを多くの人が共有していました。
しかし、現在は、日本社会の中で人々は分断され、価値観や生活は様々になりました。
筆者は、「伝えたい」という気持ちは「伝わらない」という経験から生まれると言います。
私自身、イギリスで語学留学をしていたころ、そのフラストレーションが英語学習のモチベーションとなった経験があるので、納得できます。
ただ、現地で出会った日本人の方々の中には、「伝わらない」という経験が「あきらめ」に繋がったという方もいました。
一概には言えませんが、日本での社会人生活が長い方に、その傾向が強かったと感じます。
であるからこそ、教育プロセスで異文化理解能力=コミュニケーション能力を学ぶことは、非常に大切だという筆者の主張は、なおさら説得力のあるものとなります。
問題が複雑であればあるほど人々は簡単な答えに飛びつきがちである、と先崎彰容さんがニッポンのジレンマでおっしゃっていたと思います。その原因には、多様なコミュニケーションが展開する今日において、コミュニケーション能力が不足していることが挙げられるのでしょう。
そしてそれは、若者に限定された能力不足ではないと感じます。多様なコミュニケーションに直面しているのが若者なのであり、それまで”察し合う文化”で育った日本人みんなに課された課題なのではないでしょうか。
他にも「会話」と「対話」における冗長率の違いや、日本語の世代・ジェンダー分けなど、実際のコミュニケーションにおける言語の特徴がこの本では語られており、身近に感じるからか、把握しやすく読むやすいです。
文化的な共有度が大きいからこそ、隣国同士の文化のずれが反発を生んでしまうという視点も非常に面白かったです。