ポエムが美しさに埋没させるものたち

タイトルがポエムっぽいのですが。笑

 

先日、TBSラジオのLifeでポエム化をテーマにした回を聞いてました。非常に面白かったのです。

日本では、自己啓発的というか、ポエム的な言葉に依拠するのは、意識の高いビジネスマンではなく、むしろ追いつめられている側(例えば、社訓がポエムなブラック企業)であるというお話は、実感があるためかうなずきながら聞いていました。

 

強引に自分の関心ごとと絡めますと。。。

日本は世俗社会、無宗教社会といわれています。しかし、わかりやすく特定の宗教を信仰していないという点ではそうなのですが、宗教的なもの、生きる意味を与えてくれるものを、大衆は欲しているはずだと思います。

それは、新興宗教の勃興が示しているようですが、それだけではありません。そのような新興宗教をカルト的だと決めつけて毛嫌いしている一方で、お店のトイレに掛けられた説教くさい言葉や、日々目にするCMやドラマなどで頻繁に見られるポエム。このポエム化現象も、ある意味で特定の宗教倫理が働かないこの社会で、宗教的な役割を果たしているのではないでしょうか。

 

社会は不公平で、人生は不条理の連続です。そうじゃないと感じる方、あなたは相当運が良いんじゃないでしょうか。私は、弱冠20代前半ですが、今まさに、社会に出て行こうとする段階において、苦しんでおります。笑 

世の中甘くないですねえ。。。

 

ただ、これらの苦行はほとんど私自身の不徳の致すところによるものです。

この世界では、非常に残酷なことさえ起きます。

私とは比べ物にならないくらい優秀で、よりよい社会を作るために不可欠な人物が、不治の病にかかることがあるんです。

こんな時、例えば、神様を信じていたとしたら。治らない病は自らに与えられた試練だと捉え、自分の命を病の研究に捧げるたいと考えるかもしれません。また、病を宿命だと捉え、余生をポジティブに過ごすことができるかもしれません。

 

日本人の多くが(一神教における)神を信じていません。不治の病は少し極端な例ですが、例えば会社で不条理な目にあったとき、自己啓発本やスピリチュアルな本に勇気づけられることがあるかもしれません。もしくは、憂さ晴らしに飲みに行った先の居酒屋で見かけるポエムに励まされることがあるかもしれません。はたまた、愚痴を言いながら同僚と話している内容そのものがポエムのような人生論である可能性もあります。

物事の発生に意味があると、少し楽になるんですよね。生きることが。

決してそれは悪いことではない、というよりむしろ健康な精神状態を保つためには大切なことなのかもしれません。

そして、そのための一役を買っているのが、新興宗教であるとも言えるのではないでしょうか。新興宗教をアレルギー反応のように拒絶するばかりでは、1995年に起こった事件を忘却してしまうことと一緒になるのではないかと感じます。

 

ところで、昨日、「ダブリンの時計職人」という映画を見てきました。とても美しい映画です。というより、人生でおこること全てが美しいと感じさせる映画でした。薬に溺れるのも死ぬことも、好意を抱くこともその相手を失うことも。

映画というのは元来そういった性質を持つものなのでしょうが、強くポエム化を感じる作品でした。以下、印象に残ったセリフをひとつ抜粋です。

"Have you ever seen a leaf fall off the tree?"

"I... haven't."

"It's a beautiful thing."