「話聞いてあげるよ」
先日、進路や人生についてぼやいていると、「話聞いてやるよ」という言葉を頂き、ほとんど初対面の人と飲みに行ってきました。
ただ、ふたを開けてみると、まあ当然なんですけど、彼は僕の話なんて正直あまり興味ないんですね。
「話聞いてあげるよ」と言われていざ話し始めると、自分らしさや持論を披露され、その人が満足する機会にされてしまうことが多々ある。
というよりも、「話聞いてあげるよ」って「俺の話でも聞けよ」ということなのか!?
ただ、それでも「話聞いてあげるよ」という呪文にかかってあげて、その人の持論を我慢強く聞くということも、いや、それこそが重要なのではないかと思うのです。
自分の読みたいことがその通りに書いてある本ばかり読んでる人って相当危ないですよね。嫌韓本とかその類いだと思うんですけど。
耳に心地よいことばかり聞くことの不安さって凄まじくて、耳に心地よくないことを聞くことの快感というか、健全性というか、そういうものを感じられるようになるべきなんじゃないでしょうか。
何より、実際に有意義な時間になることも多々あって、「聞く」という感覚が鍛えられるような気がします。
要するに、ぬるいビオトープで生きて行くことが容易になってきている時代で(、まあマッチョじゃなきゃ社交できない時代と比べるとだいぶマシなんだろうけど)、少しくらいは生命力を鍛える機会として、コンフォートゾーンから一歩でて外部との接触を試みる機会として、「話聞いてあげるよ」についていく価値はあるんじゃないか、ということです。
ぬるい空間で生きていきたいんですけどね。。